「ヨハクノート」なる演劇団体の首謀者・臼杵遥志と僕は、少々ヘンな出会い方をした。あれは2012年の夏、アマヤドリが福岡公演をした時のことだ。まだ高校生だった臼杵は「打ち上げ、お邪魔していいっすかね……?」など遠慮がちな態度とは裏腹に図々しいお願いをし、「あ、まあ、うん、どどどーぞ」と、縁もゆかりもない高校性に戸惑うアマヤドリ劇団員をよそに軽やかに座敷に上がり込んだのだ。と、そんなことがあった半年後、彼は東京でアマヤドリの演出助手となっていた。
一見すると、大学進学・上京という普通のことが起きただけなのだが、なんだろう、このスルりと入り込んでいる手際の良さは……。いや、決して押しつけがましい若者では無いのだ。むしろ、どちらかと言えば奥手で冷静沈着、「落ち着いてるよね」という言葉が似合う控えめな若者なのだ。が、なんだかよくわからないがいつもいつも、いつの間にかそこにいる。たとえるなら、臼杵と駅で別れて自宅に帰ったら居間で鍋をつついてる臼杵に「おまえも食う?」と挨拶されたような……。しかも、そのあまりの平然としたただずまいにこちらもうっかり「あ、そんじゃひとくちー」なんて言ってツッコむタイミングを逸してしまうような……、そんな不可解な浸透力を彼は持っている。
その臼杵がこの度、新しい演劇団体を立ち上げるという。まだ彼の作る舞台を観たことがないので面白いかどうかは知らない。「だけどあいつの作る作品はきっと面白いに違いない!」なんて無責任なことは言わない。舞台が面白いかどうかは観てみなければわからないからだ。ただ、なかなかに知恵の回る若者が、それなりの情熱を傾けて旗揚げするのだろう。どんな舞台になるのかは知らないが、いつの間にか演劇界の奥座敷にまで上がり込まれていないよう、今のうちから用心しておこうと思う。
2013年の1月。ツアー公演で福岡へと出向いた際「面白い演劇少年がいる」と、福岡の人気劇団「万能グローブガラパゴスダイナモス」の主宰・椎木樹人氏に御紹介頂いたのが、臼杵遥志でした。
遥志の野心家ぶりは、とても気持ちが良いのです。高校を卒業するや否や直ぐに演劇の拠点を東京は早稲田に置き、あっという間に今をときめく演出家の傍で助手を始めたのです。大変めまぐるしい3年間だったと思います。
さて、そうなると楽しみなのは、あの「演劇少年」が、この3年で一体どんな「演出家」へと変貌を遂げようとしているかです。
めまぐるしくインプットされたものたちが、遥志と、そしてカンパニー全員の演劇欲とどう結びついて、このヨハクノートの第1回公演として誕生しようとしているかです。
小劇場の贅沢さをお客様が実感するには、俳優はとことん自分の身体へとフォーカスを当て、研究と訓練をしなければならんのではないか思います。遥志が如何にして小劇場という空間を「健康第一」で謳歌するかに期待です。なにより「健康第一」はポイントですよ。健康じゃないと不健康な芝居すらできないですから(笑)
うすきようじと出会ったのは、彼がまだ高校生の頃でした。僕らは地元福岡の高校演劇部の夏の講習会の講師をしていて、その時の僕が担当した班にうすきようじはいました。 とにかく演劇が好きだと公言するうすきようじは、その班を瞬く間にまとめあげ、演劇を始めたばかりの高校生たちを情熱をもって作品を作る集団に変えていきました。 その後、何度も講師を担当しましたが、この年ほど楽をした年はなかったです。教えるというよりは、一緒に演劇を作っていった。そんな年でした。
それからうすきようじは、東京の大学に進学し、期待どおり演劇活動をスタートさせました。そして、僕が東京に行くときには、一緒に酒を飲み、劇場でばったり会ったり、うすきようじはいつしか演劇仲間になっていました。
そんなうすきようじが、自分で演劇を作って、福岡公演もするそうだ。 僕はそれを楽しみにしています。彼ほど演劇が好きで情熱がある高校生を僕は見たことなかったし、こんなに若い時にフットワーク軽く福岡に作品を持って帰ってくる演劇仲間に会ったことがないです。 福岡の若手の演劇仲間を瞬く間にまとめあげてしまうんじゃないかと期待してしまいます。 福岡で演劇に目覚め、東京で培った彼の演劇を、僕も情熱を持って観に行こうと思います。
さかのぼれば、出会ったのは臼杵がまだ高校生の時。 僕が「夏期ゼミ」という、高校演劇のワークショップ講師をやらせてもらっているところに、久留米附設高校という、福岡のザ・名門私立の名門演劇部の部員として現れました。毎年、短編のお芝居をいくつかのチームに別れて、参加者で作るんですね。凄い、覚えてるんですけど、臼杵はね、演出をやってたんです。で、最終日に発表するんです。とはいえ、6チームくらいあるので「照明や音響、装置は、なるべくシンプルにしてね」と事前に顧問の先生からお達しがあるんですよ。だからどのチームも、箱馬を二三個、とか、テーブルとイス、みたいに、ぱぱっと出し入れできるような感じでいくわけです。 ところが高校生・臼杵、平台をバンバン並べて、照明にもがんがんオーダーを出してとやりたい放題。「すいません!すいません!」と謙虚な雰囲気は出しつつも、やりたいプランはがっつり通すその姿、鮮明に覚えてます。そして、その後上演された臼杵遥志演出作品は、ぶっちゃけいうと、なんだかよくわからなかった、というとこまで含めて、がっちり印象に残ってます。やりたいことが溢れて溢れて、でもまだ高校生ですから、それを限られた条件下で形にするテクニックなんてあるはずもなく、結果、立ち上がった世界は、よくわからないんですけど、でも、ほとばしる何かは確かにあって、だからこそ物覚えの悪い僕の脳みそに、ばっちり記憶されちゃってるんだと思います。多分。
そんな高校生・臼杵が、今や大学生・臼杵になり、東京で作品をつくって福岡に持ってくるってんですよ。あの頃の、制御不能だった臼杵遥志の世界は、今一体どうなっているのか・・・気になるじゃないですか。相当芝居見てますからね、臼杵、東京で。見るだけじゃなく、大学演劇、小劇場にもバンバン足をつっこんで、相当色んなものを盗んでると思うんですよね、きっと。更に、学生なのにツアーなんて無茶な感じからすれば、情熱のほとばしりは変わらずのようです。
「ヨハクノート」です。いい名前ですよね。「余白の音」で「ヨハクノート」って、うまいことかかっちゃってるし。スマート&言葉遊び。うちなんて「ガラパゴスダイナモス」ですよ。カタカナくらいしか共通点ないよ。これが附設と大濠の違いかな。
しかし臼杵よ、なんでまた「ヨハク」ってところにたどり着いたの?ほら、「ヨハク」を楽しむのって、そこそこ大人になってからじゃない?若い時って、むしろ詰め込みたいじゃないですか。あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたいじゃないですか。僕なんていまだにそうですもん。詰め込みすぎて、ヨハクが無いって色んな人に言われますもん。ヨハク、いまだに全然使いこなせない。ほらこの推薦文すらも、余白が全然ない。
直接語らずに、語られたことの外側に何かを浮かび上がらせる、何も書かれてないヨハクこそが雄弁に何かを語る、みたいなの、なんかカッコイイっすね。余白にこそ、本当の物語がある。的な?俺、すぐ説明しちゃうからなあ・・・余白を見つけるとすぐギャグとか入れちゃうんだよなあ・・・余白音痴・・・。 ヨハクを表現の軸に置くってのはつまり、観客の想像力を信じるってことなのかなあ。でも、たまにさ、想像力を信じすぎちゃって、訳の分からない芝居もあるじゃないですか、ぶっちゃけ。それはただの、作り手の怠慢じゃねえ?みたいなの。観る側の想像力の範囲を想像できてない芝居。想像力、そこまで万能じゃねえぞ、って思うこともなくはないわけで。そういう意味では、余白の取り扱いってすごく難しそうなんだけど、そこら辺を、演出家・臼杵は、どう捌いてるの?
諸々ひっくるめて、一体どんな芝居なんだろう。これで、うちみたいな超分かりやすいコメディとかだったらどうしよう。ユニットコンセプトは「厳粛な遊び」か・・・。葬式のコメディかな・・・。だったらうちと被るな・・・。
余白の音、面白い作品だ!と無責任には言えないんだけど、何せまだ見てないので。でもね、臼杵遥志という人間の、演劇熱だけは100%保証します。芝居は未知数。だからこそ、今見といたらいいと思います。マジで!